01
塾長が小・中・高と一貫して指導にあたります。
現在勉強している内容が上の学校でどう展開するかということも視野に入れ、
できることは先取りをしつつ、上手に導いていきたいと考えながら指導しています。
02
小学生から高校生まで、生徒が書いたものに塾長が細部まで目を通し、
理解不足や誤解を一つひとつ解決していきます。
誤字や日本語の不備の修正を含め、それはもう、しつこいくらいに丁寧。
テスト前の復習にも便利なように、マル・バツの色づかいなども工夫しています。
03
公立中学とカリキュラムや教科書が異なっても大丈夫です。
教科を数・英・理などに限定することもできますし、教材も適切かつ柔軟にご用意いたします。
勉強のしかたがわからない、って子どもが言うのですが・・・多くのご父母様からいただくご質問の筆頭がこの類です。そこで最近、私はこう答えるようにしています。
「腑に落ちるまで粘るんです」
教科書を読む・問題集に取り組む・あるいは図鑑や歴史漫画を読む、形は何でも結構です。教科や目的によってもやり方は違うでしょうから。
ただし、1行読み進めては1問やっつける。その都度、納得が行くまで先へ進まないことが大切です。
これを守ればその内容はその場で頭に定着するか、忘れてもすぐ取り戻せるようになるに違いないのです。
もうひとつ、
「何から何まで人から教わらない」
これも大事なことです。新しい内容であっても、いやむしろ新しい内容だからこそ初めは一人でやってみるのです。一通りのことは教科書に書いてあるのですから。
読めばわかることも、そうでないこともあるでしょうが、様子が大体わかったら次は問題を解いてみる。手を動かしながら例題を読み、類題を解き、正解を確かめる。
間違い続けるようであれば大丈夫だったところまで戻る。数学などはこの形が、実は最も “ 効率がいい “ はずなのです。
そして、自力で解決できないところは教わればいいのです。一度自分で考えてみた後でなければ、教わっても頭には残りません。
さらに、
「できるだけ自力で正解に辿り着く」
この点を強調しておきたいと思います。“ せっかく間違えた ” のに、自分ですぐに正解を見てしまってはもったいないですよね。そこに成長のチャンスがあるわけですから。
また、自力で正解に辿り着いたときには、その問題が狙う要点がきっと定着しているはずです。
ご興味を持たれましたらお気軽にお問い合わせください。
1962年 愛知県生まれ。 愛知県立半田高校卒。
中学時代に小松左京『日本沈没』を読んだのがきっかけ[注1]で、高校入学のころには「地球物理学を専攻したい」という希望を持っていました。
高校時代はテニスに熱中。数学や物理でけっこう苦労したほうですが、好きだったのでしぶとく頑張っていました。理系のくせに得意だったのは現国と漢文という変なやつでした。
そのまま受験生となり、地球物理学教室のある国立大学のうち東北大学理学部物理系を受験しましたが、不合格でした。
名古屋の河合塾<京大理系コース>の選抜試験には合格して入塾、1浪では欲が出て京都大学理学部に挑戦しましたが、またしても不合格でした。
呆然としながら河合塾にもう1年通いましたが、2浪の秋に行き詰まって成績はあまり伸びませんでした。
浪人は1年で勝負をつけなくてはだめですね。
共通一次試験(当時)でもめざましい得点は取れず、京大理に受かるための勢いはなく、それでも地球物理をやるなら国立でなくては[注2]・・・と、もともと第2志望ではあった北海道大学理I系(=物理系,当時)を受験、合格しました。
ちなみに2浪では「アトがない」ので、気象大学校を“ダメモト“で受けたところ、一次試験当日が絶好調で合格。ここに合格した頃が私の受験学力のピークでした。
私大では慶応大学理工学部I系(=物理系、当時)と立教大学理学部物理学科に合格。
気象大に行っていれば自動的に気象庁勤めが約束されていましたし、離島や山奥の気象観測員も悪くないと思ったものですが、いつか教師をやりたくなるかも知れぬと考え[注3]、北大に入学しました。
1988年北海道大学理学部地球物理学科(当時、以下同じ)を卒業。
固体地球物理関係の2講座のうち「応用地球物理学講座」に所属していました。
講座決めの前年(1986年)に伊豆大島が噴火した衝撃で固体地球物理志望の新4年生が殺到。
講座の部屋に学生が入りきれず、私は隣の建物にあった「地震予知観測地域センター」の図書室に机を置かせてもらい、論文輪講や卒業研究などもそこの先生方にみっちり指導していただきました。
卒業研究のタイトルは「内部圧力源による半無限媒質の表面変位」。簡単にいえば「マグマだまりの力学」です。
卒業間際までオーケストラとコントラバスにのめりこんでいたので、あまり真面目な学生ではありませんでした。
卒業後は応用地質株式会社[注4]に入社、探査工学研究所(浦和市、当時)で物理探査法[注5]の研究開発と実務に従事。
最後の1年は本社で電気探査法の実務書を編集。
1995年「物理探査学会賞」を研究所時代の上司との連名で受賞。
[注1]現在の地球科学の研究者にも『日本沈没』を読んだから、という人が少なくないそうです。
[注2]私立大学では地球物理学の扱いは軽く、物理学科などの選択科目とか一般教養科目に散見される程度で、地球物理学を専門的に学べる学科は見当たりませんでした。
[注3]気象大学校は運輸省(現在は国土交通省)所管の学校で、教員免許が取れませんでした。
[注4]地質・土木・環境の総合コンサルタント会社。本社東京。札幌にも支社があります。
[注5]地盤内の物理的性質のちがいを利用して地下構造を探査する技術の総称。地震探査法・電気探査法など。
1995年応用地質を退職、札幌へ“Nターン“。
クラーク学秀会(札幌市北区)で教師生活をスタート、翌年副塾長。
おもに中学生の国語・社会・理科と小学生の算数・国語の一斉指導を担当。
2001年8月に退職、同年10月 神谷塾を開業。
家族は妻と息子2名と犬1頭。
資格など
高校教諭理科二級・(失効中ですが)乙種火薬類取扱保安責任者・漢字検定二級
著書など
『建設・防災・環境のための新しい電気探査法 比抵抗映像法』(古今書院,1995,共著)
『新しい科学の教科書 準拠問題集』地学編 (文一総合出版,2009,共著,監修・左巻健男)