読む・書くという日常的な作業の延長のようなものなのに、国語が「苦手だ」「嫌いだ」という人が少なくありません。いわゆる「勉強」が役に立たない(部分が多い)という点では達成感がなく、嫌いだと思う気持ちはよく理解できます。
では、「好き」になるかどうかは別として、苦手でなくなる方法はないのでしょうか。神谷の考えを書いてみたいと思います。ぜひ参考にしてください。
【『神谷塾だより』に連載したものに加筆修正しました】
1 書く
いきなり落胆させてしまうかも知れないが、国語の勉強に楽な方法はない。基本の<読み書き>を日常的に大切に実行し、日本語の力を磨くほかはない。教科書準拠ワークの勉強で定期テスト対策以上の効用を望むのは少々虫がいいだろうし、かといって「標準版」問題集や入試問題にいくらあたっても、せいぜい問題慣れして技巧的にわずかに得点が伸びるくらいのものだ。それで十分だというのなら構わないが、「労多くして益少ない」うえに、いつまでたっても国語はつまらないだろう。
一方、日本語の力を日常的に養っていけば、試験の問題文を鑑賞する余裕も生まれるし、設問への対応も容易になってくるものなのだ。日常の訓練をオロソカにしておいて「国語の点数だけ欲しい」というのは甘い。急がば回れ、である。また、そうやってつけた力はすべての教科の基礎となり、全体の学力がじわじわと上がる効果も見込める。楽ではないけれど、楽しい方法なのである。
そこで、まず「書く」。何でもよいから、「書きたい」「書かねば」という力がみなぎってくるものを書くとよい。そこで様々な困難に直面し、自力で解決しようとするとき、国語力は飛躍的に向上する。
大切な人に手紙を書くのはとてもいい訓練になる。それを相手が捨ててしまわない、という自信の持てるものが書けるだろうか。夢中で読ませることができるだろうか。自分の気持ちを正確に伝えることができるだろうか--こうして考えると、たかが手紙と思うことなかれ、相当な国語力が要ることがわかるはずである。誤字はマズイ。不安な言葉は辞書を引く。下書きをし、推敲し、清書する。肉筆で、便箋十枚くらいの手紙を仕上げてみたまえ。実際に出さなくてもいいから、まずは書いてみることである。
より実戦的な方法としては、新聞の1面のコラム(社説でもいい)を半分に要約する。毎週一回程度でいいから、気に入った文章で挑戦してみるとよい。たとえば道新の「卓上四季」は約560字で書かれているので、280字以内にする。朝日の「天声人語」は約600字だから300字以内にする--などである。小段落ごとに中心文を探し、なるべく本文の言葉を用いてまとめる。そして題をつける。この方法は全国のいくつかの塾でも国語指導の一環として実際に行われていて、神谷の昔の職場でも小5以上の生徒に隔週で取り組ませていた。中3の場合、これが20分程度でできるようになれば、入試国語のたかだか80字の記述などは楽なものである。
【第20号 2002年8月19日発行】
2 読む
さて、書く(=アウトプットする)ためにはインプットがなくてはならない。それも良質のインプットが。貧しいインプットからは貧しいアウトプットしか望めない。精神を没入できるような、優れた作品に巡り逢いたいものである。
国語力のある生徒は概して精神が早熟で、大人である。精神の成長には様々な人生経験が必要だが、15歳とか18歳では限界があるだろう。だから小説を読む。そこに描かれている別の人生を読み、人生経験を補うのである。高校卒業までに夏目漱石や芥川龍之介や宮沢賢治の作品をいくつ読めるか挑戦してみてはどうか。井上靖の歴史小説も時間を忘れる面白さがある。SFにも優れた文学は山ほどあるので、SFが好きな人はSFを読めばいい。小説や随筆は、人間として最も大切な「良心」「優しさ」や人間の愚かしさやを学べる重要なジャンルだ。
「できる」受験生は受験勉強をしつつも一定の読書の時間を持っているものである。もちろん新聞にも毎日目を通す。かつて大学受験の予備校の、超難関校を狙う浪人生のクラス(文系・理系を問わず)の「現代国語」の講義が、(問題の解説などはそこそこに)「徹底した読書指導」を中心に展開したことがあった…と言ったら驚くだろうか。(最近はそんな講義がめっきり減ったそうだ。残念なことである)
理科系の仕事をしたいと考えている人もいると思う。だから読書など必要ないと思っているかも知れないが、実はそういう人こそ読書をして精神を磨いてほしい。世に蔓延する放射性廃棄物や人工化学物質をはじめとして、理科系の仕事の一部が世界に災いしているのは、「良心」なしに科学をもてあそんだためかも知れないのである。
なお、日本語の長文を読む力がなければ、英語の長文はなおさら読めないに違いないことを付け加えておきます。
【第21号 2002年9月2日発行】
3 古文
この項はおもに中学3年生向けに、わりと当たり前の「勉強」の話です。現代文ではいわゆる「勉強」がふつうは役に立たないが、古文では「外国語の勉強」的な勉強がどうしても必要になる。
古文が読めるためには当然ながら現代文が普通に読める必要があるのだが、これはひとまず満たすものとして、第一に現代仮名遣いに直せること。よく出題されるし、これができないと古文はそもそも読めないだろう。会話の部分や省略されている主語を指摘する設問も多いが、これらは読めていれば対応できるものなので、多くの問題にあたって古文を読むカンを養っておこう。しばしば「オチ」があるので、それがわかれば楽しいし、全問正解できる。読めていないと、つまらないうえに間違えまくることになる。
係り結びをはじめとする基礎的な文法事項や代表的な古語は、ノートに整理するなどしてきちんと勉強しておく。まずは手もとの参考書や問題集に載っているすべての古文を徹底的に勉強すること。余力があれば、ちょいと背伸びして『徒然草』の現代語訳つきの文庫本を一冊購入して熟読するとよい。「人生の参考書」的な豊かな内容であるし、教養も高まる。(古代の宮廷生活が好きであれば『枕草子』でも構わない)
さて、ひとまず公立高入試では問われないであろう文法事項--諸々の助動詞の意味や<未然形+ば>と<已然形+ば>との違い、「え…ず」などの語法--も、可能なかぎりきちんと習得しておくことを勧める。なぜか。君たちはやがて高校に入学するだろう。すぐに本格的な古文の学習が始まるが、作品を読むのは「おあずけ」のまま、文語文法を半ば強制的に詰め込まれたりする。文語文法ばかりではなく、英語の授業では英文法を大量に詰め込まれるし、数学はびゅんびゅん進む。「勉強ってこんなに大変なものなのか」と苦しむ人がとても多い。だから高校入学後を意識して、やれることはやっておいてほしいということである。
ならば、勉強するにあたって詳しい参考書が一冊ほしい…と思うのは全く自然だし、正しいことなのだが、残念ながら中学生向けの文語文法の適当な参考書というものが見あたらない。書店の参考書売り場(中学生の)に行ってみるとわかるが、「国文法」の参考書にはたいてい口語文法しか説明されていない。口語文法の片隅で説明しきれるようなものではないのは確かだし、かといって文語文法の本を別に作っても売れないのだろう。
すると高校生向けの参考書を手に取ることになろう。高校に入ると文語文法の解説書を渡されるはずだが、中学生のうちに薄い本で勉強しておくのも有効である。一冊まるごとマスターしようなどと思わなくていい。「知りたいことを調べる」という目的で使えばよろしい。
ところで、先ほど「未然形」などといいう語が出てきたので気づいたかも知れないが、文語文法がわかるためにはまず口語文法がわかっていなくては話にならない。口語文法の勉強は中学で終わり(!)なので、中学のうちに大筋をわかっておく必要がある。中学で口語文法をおざなりにしていると、高校で習う文語文法はきっと壊滅的にわからないはずである。そのためにも口語文法はきっちり勉強しておいてほしい。これについては次項で述べる。
【第22号 2002年9月24日発行】
4 口語文法
中学でやる口語文法の、勉強法というよりは勉強の意義についてです。
口語文法は高校で習う文語文法の基礎となるものだ、と前項で書いた。日本の古典を読むために不可欠の道具=文語文法の入門として、口語文法の知識は重要である。文語文法の知識は大学入試で必要だし、習得できればたとえば『源氏物語』が原文のまま読める(素晴らしいことであろう)し、日本文学や日本史学への道も開けてくる。
しかし、多くの日本人にとって口語文法が大切である最大の理由は、それが正確で美しい日本語を書いたり話したりする能力の基礎・裏付けとなるものだからであろう。もちろん、内容があってこその文章や会話ではある。だが、文法を学んで「技術」を磨いてあるのとないのとでは、文章やスピーチの完成度が違ってくるはずだ。副詞の呼応のおかしい文章は読みづらいし、対句法で複数の事項を説明するときは構造や品詞がおおむね対応していないとわかりづらい。「文法は高校入試にあまり出ないし、知らなくても困らない。喋れるし…」というのは浅はかだ。ホントはちゃんと喋れていない(!)のかも知れないのだ。無意識に遣っているコトバに規則が存在するという事実の素晴らしさを知ってほしい。
さて英語の I love you、I need you、I want you の述語はみな動詞だが、日本語の「愛する」「必要だ」「ほしい」はそれぞれ動詞・形容動詞・形容詞である。また日本語の「ある」は動詞で「ない」は形容詞。中学では事実上日本語文法より先に英語文法を習わされるので、ぐちゃぐちゃになっている人もいるにちがいない。不自由だろうし、気の毒だが、日本語と英語とは別物だからと割り切って学ぶよりほかはなさそうである。
勉強は大変だが、コツはある。たとえば用言の6つの活用形のうち、終止・連体・仮定・命令は簡単。おおむね見ればわかるからである。一方、未然形と連用形はわかりにくい。実情にそぐわない名前がついているうえ、用法にけっこうな広がりあるから。よって、ここに力点を置いて勉強するとよい。
実は、学校で習う文法は唯一絶対のものではない。他にも、たとえば「主語を修飾語の一種とみなす」とか「形容動詞の存在を認めない」など、様々な立場がある。中学では誤りだと習う「ラ抜き表現」も、見方を変えればより論理的な表現となる(「可能」の意味なら、「私は食べられる」より「私は食べれる」のほうが明確ではないか)。そういうわけで、学校では、本当は疑問だらけの文法をこと細かに教えるのもほどほどにして、むしろ現状ではオマケほどにも扱われていない<作文技術>--読点(テン)の打ちかたや修飾語の順序などなど--をしっかりやればいいのにな…と思う次第である。
日本語の文法には、全く異質な英語の文法の記述を明治ころからの研究者たちがまねた結果、およそ合理的とは言えない説明が「よどみ」のようにあちこち生じてしまっている。また、口語文法は文語文法に追随する形で研究されてきた経緯があるため、文語文法を多少学んでみてようやく理解できるという側面もある。口語から文語にさかのぼる・また口語に戻る…を繰り返したり、外国語をいくつか学んでみたりして、だんだん日本語というものがわかっていくようである。
【第25号 2002年10月28日発行】
5 漢字
国語の試験にはふつう漢字の問題がある。難関国立大二次の国語でも漢字の問題はちゃんとあって、「できたのは漢字だけ」だったりする。2022年度の大学入学共通テストでは200点中の10点(5%)、北海道公立高校入試では100点中の8点(8%)。いずれにせよ漢字をおろそかにはできない。
とはいえ、膨大な量の漢字を脈絡なくひたすら憶えるのは大変なので、全体の80%以上を占めるという「形声文字」の知識を利用するとよい。たとえば「葉」「蝶」「喋」の共通部分は「ヒラヒラしていることを表す」のだそうだ。葉はヒラヒラ落ち、蝶はヒラヒラ飛び、喋るときは舌がヒラヒラ動く。こういう仲間をまとめて憶えてしまえば漢字の知識は急激に増えるだろう。また、たとえば「ハクライの品」のライは「来」だとしてハクは…?と悩んだとき、旁(つくり)は「白」だと気がつけば、あとは篇(へん)がわかればよい。拍?泊?伯?…「ハクライの品」はきっと船で来るのだろうから、「舶」かな?…。これで正解。たとえ知らない文字でも書けてしまう可能性がある。
心掛けとしては、日頃の勉強で漢字を書くのをサボらないこと。自信のない字は努めて辞書を引くこと。また、ヤマトコトバを意識的に漢語で置き換える訓練をするといい。たとえば、「はっきりした」に相当する漢語には<明白><明確><明晰><鮮明>といろいろある。漢語のほうが意味がシャープなのだ。たとえば、「はっきりした意志」ならばどれが適切か?…答は<明確(な)>である。また、よく試験に出る「おさめる」には<収める><納める><治める><修める>の4通りの漢字がある。それぞれ<収集・収益・収容><納付・格納><政治・治水><修養・修業・履修>といった熟語が思いつけば決定できるだろう。「収納」というコトバもあるので、「収」と「納」とは意味が近いと思ってよさそうだ。
中学生は在学中に漢字検定のせめて4級、できれば3級を、高校生は2級を取るくらいの意気込みで勉強しておくとよい。(漢検は2級までは比較的易しい。準1級からは突然難度が上がり、合格基準点も上がるので、簡単には受からない)
【第26号 2002年11月11日発行】
6 参考書
最後に参考書を紹介しておきたい。すべて新書か文庫です。
■大野晋 『日本語練習帳』(岩波新書)
著者は国語学者。学者の文章らしい、論理的かつ丁寧かつわかりやすい本。あちこちで目からウロコ。
■工藤順一 『国語のできる子どもを育てる』(講談社現代新書)
著者は東京で国語専科塾を主宰。神谷はむかしこれを読んで教育観をがらりと変えた。各年齢段階に応じて本の紹介もあり。お母さん・お父さんにもご一読をお勧めします。
■本多勝一 『日本語の作文技術』(朝日文庫)
著者はジャーナリスト。神谷は大学受験の浪人のころこれを読んで世界の見方が変わった。「この本の前半を読むだけでも日本語がうまくなる」と言われているスゴイ本である。
■牧野剛 『河合塾マキノ流!国語トレーニング』(講談社現代新書)
著者は「教え子10万人」といわれた、神谷の予備校時代の恩師。論理的読解の方法と小論文対策。本の紹介もあり。文系高校生には特に勧めたい。
■木下是雄 『理科系の作文技術』(中公新書)
著者は物理学者。論文の書き方の手ほどきもあり。これは理系高校生向け。
■高田瑞穂『新釈現代文』(ちくま学芸文庫)
伝説の現代文参考書。詳しくはこの記事をご覧ください。
ものを考える大人になるための必要条件のひとつは読書の習慣である。読書にもいろいろあり、興味を引く本を手当たり次第に読む<乱読>や、ノートをとりつつ1日1ページなどという速度で進める<精読>があって、どちらも大切だ。好きな作家のものを読んでいくという<著者別読書>をする人は多いが、これに対して、仕事上の必要性や学問上の興味から、あるテーマに沿って類書を読んでいくという<系統的読書>というものもある。つまり、ひとつの本を読んだら次にその参考文献を読んでいくのである。これを続けると、そのテーマに関してあるまとまった知識を得ることができる。
終わりに。真の意味での国語力とは、日本語で記された思想や情報を読み、自分の思考を表現するための、人生を生きる実力のひとつである。上に紹介した高田瑞穂氏は「丈夫な一丁のよく切れるナイフ」と表現した。一丁の ナイフを絶えず磨いていれば、入試の国語はたやすいものとなっていくだろう。
【第27号 2002年11月25日発行】