前回の記事を書きながら,非常に重宝している,あるいは死ぬまで手放せない本が書棚のあちこちにあることに改めて気づきました。今日ご紹介するのは「伝説の現代文参考書」です。
高田瑞穂『新釈現代文』(新塔社1959,現在はちくま学芸文庫)
著者は東京府立第一中学校(現・日比谷高校)教諭、成城高等学校(旧制)教授、校長などを経て、1954年に創設された成城大学文芸学部教授に就任。その後、成城大学名誉教授。近代文学研究の第一世代として活躍した。著書に『反自然主義文学』『近代耽美派』『芥川龍之介論考』など多数がある。(筑摩書房のHPより)
大学入試の現代文では,数学のような体系的な教科とちがって「万全の備え」などというものはあり得ない。むしろ表現に対する眼を開き,焦点の合わせ方を知りさえすれば用は足りる。だから本書は「たった一つのこと」--表現を追跡し,筆者の思考・論理を追跡する力を養うことだけを目的としています。
理系のくせに自称<現国(現代文)が得意>だった私は,二次試験に国語のある大学を受験しようとしていたこともあり,この本の存在を知るや早速手に入れて格闘を始めました。第四章には
最後に一言、この本によって「たった一つのこと」を理解する道もまた、当の「たった一つのこと」によるべきであることを申し添えます。ずいぶん長い「追跡」でしたが,どうぞこの本は、二度読んで下さい。どんな書物でもそうですが、二度読んではじめて読んだと言えるのです。
と記されていますが,残念ながら私は一度目の読破も叶わぬうちに受験生活を終えました。そして大学入学の準備をしつつ,当時持っていた他の参考書の多くと同様,なんと本書も処分してしまったのでした(ああ)。
いま手許にあるのは塾講師を始めたころ(中学生の国語・理科・社会の一斉指導をしていました)に書店で見つけて買い直したものです。その後絶版となった模様ですが新塔社から一度復刻され,さらに現在では筑摩書房から(ちくま学芸文庫で)出版されています。
昭和のど真ん中で生まれた本ですが,現代文の参考書としていまでもお勧めできるものです。また大学生も社会人もこの本を「読書」するだけで日本語の読解力を養うことができるはずですし,読み物としても超一級の面白さなのです(それを若い頃の私は一度捨てているのですから,愚かなものです)。たとえば,本書の第一問である宮崎大学の問題は
諸君が学校にはいるのは世間と隔離された温室の中でひ弱な花を開くためではない。他日大木となって社会の暴風雨と戦うべき不抜の根を確かに地中に張るためである。・・・・・
と始まります。読者は学問を志すための強烈な意欲を掻き立てられ,読解の眼を見開き焦点を合わせる動機付けを否応なく得ることになります。困難な道を進もうとする大学受験生を鼓舞するかのような選定ではありませんか。
かと思えば第二問は,室生犀星『忘春詩集』より「靴下」です。出題は三重大学。
毛糸にて編める靴下をもはかせ
好めるおもちゃをも入れ
あみがさ わらぢのたぐひをもをさめ
石をもてひつぎを打ち
かくて野に出でゆかしめぬ
おのれ父たるゆゑに
野辺の送りをすべきものにあらずと
われひとり留まり
庭などながめてあるほどに
耐へがたくなり
煙草を噛みしめてゐたりけり
若い頃,初めて読んだ時には涙がぶわーーっと溢れてきたものです。受験の現場だったら解答どころではありませんね(設問は平易ですが)。それは父親の悲しみに共鳴してしまうからですが,このことで一気に焦点が合います。
このような素材に取り組むことによって,眼を見開き焦点を合わせる感覚を身につけてゆくことができる。入試現代文は思考力の鍛錬という意味では数学と双璧と言っても良いのです。