【昔の『神谷塾だより』に書いたことを発掘したので、ちょっと直してアップします】
「暗記科目が苦手だ」という声を生徒本人やご父母からときどき聞きますので、少し考えてみたいと思います。
学習の場面で「暗記」という言葉が遣われるときには、「意味の理解はさておいて」「ときに苦痛を伴うが我慢して」頭に詰め込む…というニュアンスがあるように思います。学習でなく、たとえば「般若心経」を意味は知らないけれど憶えてはいる、という人は珍しくありません。幼年期に暗唱する機会があると憶えてしまう。またたとえば、好きな歌の詞をたくさん記憶している人も珍しくありません。これは何か必要があるからではなく「憶えずにいられない」からに違いない。--こういう、生活の中の「暗記」が苦行であることはないでしょう。さて、一般に「暗記科目」と呼ばれているのは理科や社会科なのですが、その呼び方は正しいのでしょうか。
確かに、ある程度の事項は記憶しておかなくてはなりません。理科であれば、たとえば元素記号や化学式はそうです。しかし<化学反応式>となると、暗記ではすぐに限界が来るし、暗記では意味がない。物質どうしの反応には無数といっていいほどの組み合わせがあり、未知の(まだ習っていない)組み合わせで反応が起きるとして、何対何の比で反応するのか、反応後に何が生じるのかといったことが推論できるようになってこそ、化学反応式というものがわかったことになります。
中学理科に出てくるわずかな化学反応式の中で、多くの中学生は<酸化銀の分解>が苦手です。
2Ag2O → 4Ag + O2
苦手な人はたぶん「暗記」で済ませようとしているので、すぐに忘れる。だからまた「暗記」するのだけれどまた忘れる。そのうちイヤになってしまう。一方、「なぜAg2Oの前に2がつくのか」をきちんと理解している人はそれを忘れないか、忘れてもその場でサッサッと復元できる。中学理科で習わない反応式、たとえば石灰石(炭酸カルシウム)と塩酸の反応なども、書こうと思えば書けるかも知れない。
「社会科は教科書を暗記すればいい」のでしょうか。答えの前に、そもそも「教科書は暗記できるものなのか」を疑ってみてください。中学生ならば、地理・歴史・公民の3冊はほぼ同じ厚さですね。出版社が違ってもほぼ同じ。不思議だと思いませんか?…なぜこうなっているかというと、教科書というものにはページ数・字数の制限があり、その範囲で決められただけの事項を説明するしくみになっているからです。事項と事項のつながりは必要最小限にまで絞り込まれているか省かれていて“筋”は見えにくい。だからいきなり読んでもよくわからない。社会科の教科書は、詳しい解説を受けたり自分で調べたりした後でようやく“読める”というものなのです。書かれている内容が理解できないのに「暗記」しようとするのは苦行でしかありません。
歴史では、メジャーな出来事の年号は記憶しておいたほうが便利なので,大いにお勧めです。しかし、それでは済まないこともある。試験で「またか」と思うくらい出題される
第一次世界大戦勃発・ロシア革命・米騒動・原敬内閣成立
の並べ替え(この順で合っている)は、因果関係をふまえて答えるのが望ましいし、それが出題の狙いでもあります。年号だけで答えようとすると1918年のものが2つあって行き詰まります。
どんなことでも自分の頭で考えながら紙に書いていくのが正統的で,勉強の“王道”でもあると思います。「まとめをしなさい」と塾でよく言うのは、まとめをする過程で脳内を整理し、必要なことを自力で調べたりするので、まとめを書く段階で頭に入っていくはずだからです。「暗記科目が苦手」な人は、暗記で済ませようと思っているから記憶できないし、苦手なのに違いありません。理科や社会に限ったことでもなさそうです。
「暗記科目」とは