中学・高校の物理の学習内容に
「右ねじの進む向きに直線状の電流が流れると,右ねじを回す向きに同心円状の磁場(磁界)※1 ができる」
という現象があります。フランスの物理学者アンペールが発見したもので,これを発展させるとコイル(ソレノイド)がつくる磁場の話になるという,基礎的でしかも重要なことがらです。右ねじというのはねじ山にねじ回しをあてて時計回り(右回り)に回すと締まるねじのことで,この世に存在するねじはたいていはこの右ねじです。※2
(東京書籍『新しい科学2年』 p.166 から拝借しました)
さて,この法則で重要なのはもちろんねじの話ではなく,向きのことです。中学生・高校生の人は「どうして必ずこの向きなのだろう?」と考え込んだ経験はないでしょうか。
そうやって考え込むのは悪いことではないし,いろいろな現象について誰かがそうやって考え込んで理由を解明してきたから科学は進歩してきた,ということもあるでしょう。現実的な効用を言うと,そうやって考え込んだことというのは忘れにくいものです。その向きに磁場ができるのを当たり前のように思えるようになったら OK でしょう。
ただし,実はこの問題を長時間考え込んだり調べたり人に聞いたりするのは一種無駄になるので,中高生に教える場面では「自然がそうなっているから(しょうがないん)だよ」と話すことにしています。現象とか物質の成り立ちだとか,どちらの向きでも良さそうなのにどういうわけだか向きが一方に決まっていることというのが,自然界にはよくあるのですね。
脱線しますが,化学では,同じ構造だがちょうど鏡に映したように(あるいは左右の手を合わせたように)反対向きになっているものどうしを光学異性体といいます。そのうちの一方だけがある特別な性質をもつ,という場合があります。これは「自然がそうなっているからだ」としか言いようがありません。
分野は違いますが,右ねじの法則も「なぜかそうなっているのだ」--というわけです。
かく言う私もこの件について「なぜだろう」と考え込んだ経験が何度かあります。原子レベルかもっと微細なレベルで,つまり素粒子だとかスピンだとかが関係しているような気がして,その辺を少し眺めてみたりした(勉強した,というにはお粗末なレベルなので…)こともありますが,答は見つかりません。
「自然がそうなっているからだ」という説明でいいんだな,と安心できたのは,田崎晴明『熱力学 現代的な視点から』(培風館)p.40 で次の記述に出会ったからです。
【本文】 この原理(神谷注: Kelvin の原理。この世界に第二種の永久機関が存在し得ないことをいっている)に「証明」がないことを不服に思う必要はない。物理学の基本的要請は、様々な経験事実から普遍的な側面を抽出して設定すべきものだ。
【脚注】 たとえば、重力の逆二乗則も、天体の運動や直接の実験などの経験を理想化して得られる。この法則の「証明」はない。
つまり,物理学ですべての物理現象の説明がつくわけではないということです。物理学はそれが仕事ではないのかと反論されたい向きもあるでしょうが,そんなことを言ったら「宇宙はなぜあるのか」などという疑問にも取り組まざるを得なくなりますね。(質量が存在する理由は解明への手がかりが見つかったようですが,オドロキです)
ところで最近,この件について何か新しい知見が得られているかも…と万が一のことを考えてネットで調べてみました。そうしたらやはりこの件を質問している人がいます。<少し心配になって>質問と回答を読んでみたわけですが,まあ,やはり「自然がそうなっているから」としかいいようがないのです。
私が心配したことというのは,質問があまりに現象の根本をついているために,質問を読んだ人にその内容が正しく伝わっていないのではないかということでした。つまり,「なぜ右ねじを回す向きにだけ磁場ができるのか?」という疑問を「なぜ右ねじの法則というか」という疑問だと甚だしく勘違いして,まさに「右ねじは比喩なんですよ。そんなこともわからないのですか」とお説教をぶつみたいな口調で回答している人もありました。質問者にはお気の毒としか言いようがありませんね。
※1 磁場も磁界も同じ。物理学では「磁場」と呼ぶのが普通ですが,工学分野とか中学理科では「磁界」のほうが定着しているようです。
※2 反時計回り(左回り)に回すと締まるねじを左ねじといいます。有名なのは扇風機のプロペラを固定するねじ。この場合モーターの回転方向が右回りなので,右ねじでは回転の力で緩んでしまう危険性があります。それで左ねじが使われます。
右ねじの法則