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原題は“42”。1947年にアメリカ大リーグ初の黒人選手となったジャッキー=ロビンソン(1919~1972)の背番号で、その功績を称え大リーグで唯一の全球団共通の永久欠番となっている。映画はそのジャッキーが1945年にスカウトされ1947年にメジャーデビューしチームが優勝するまでの物語。すべて実話に基づくということである。
第二次世界大戦直後、大リーグはまだ白人のもので、黒人※1はニグロリーグでプレイしていた。そのニグロリーグから優秀な人材をスカウトし、球界の人種差別と戦う革命を起こそうと考えたのがブルックリン=ドジャース※2のGM、ブランチ=リッキー(ハリソン=フォード)。ブランチが選んだのがジャッキー=ロビンソン(チャドウィック=ボーズマン)だった。
※1 アフリカ系アメリカ人。以下では黒人と表記します。
※2 当時はニューヨークに本拠を置いていた。1958年からロサンゼルス=ドジャース。
最初はマイナーのロイヤルズに入団、打率6割5分?の好成績で2年後にはメジャーデビューを果たすが、ジャッキーはずっと差別や侮辱と戦わなくてはならない。他チームや白人の観客※3、遠征先のホテルなどのほか、自分が入るチームの選手からも拒否されてしまう。打席に立てば露骨な危険球を見舞われ、自宅やチームには山のような脅迫状が届く。
※3 息子を連れた白人の親父が口汚い野次を飛ばすと、それに困惑していた息子も同じような野次を飛ばし始めるシーンが痛ましかった。子はまさに親の鏡。醜い行為も親がやれば子は真似するのである。
しかしジャッキーは堪える。「やり返さない勇気」を持つことがブランチとの約束であり、契約の条件だった。自分が黒人選手のパイオニアであり野球少年たちの希望であるという自覚もあっただろう。何事においてもパイオニアは大変なものであるが、差別に堪えつつ、出塁すれば次々に盗塁を決め、いいところでホームランも打つのは大したものである。
チームの監督や経営スタッフは順応が早い。人種差別が非人道的であることを理解していたということもあるだろうが、優秀な選手が入れば勝てるのだ。勝利は観客動員に、つまり球団の収入に、したがって自分の給料につながる。「生活がかかっている」意識が当時の白人選手よりもしっかりしていたのだ。
それに引き替え、白人だけでやっていた白人選手たちは認識が甘い。自分のポジションが黒人選手に脅かされるなどとは思ってもみないのだ。それでドジャースの選手たちの一部は黒人選手拒否の嘆願書など出すのだが、それが自分の雇い主の意思に反することにも思い及ばない。
そんな連中が、ジャッキーの真摯な態度やチームへの貢献によって変わっていく。優秀な仲間がいれば勝てるのだから、肌の色などどうでも良くなっていくのだろう。ジャッキーが頭部直撃の死球を受けると彼らはジャッキーのために怒って乱闘※4を起こしたりもする。ドジャースの快進撃は続き、その年リーグ優勝を果たすことになる。
※4 最近はプロ野球で両チーム入り乱れての乱闘というものがなくなった。少し残念である。
映像は非常にゆったりとしている。草野球の試合場のようなグラウンドに、ウール製の暑苦しそうなユニフォーム、小さくて恰好悪いグラブ。これらも当時の様子を可能な限り正確に再現しているとのことである。だからか、実際に見たこともないのにとても懐かしい思いがした。
ボーズマン演じるジャッキーはなかなかのナイスガイであり、野球をする姿が美しかった。特に出塁してからの走塁がいい。投手を挑発するようにリードを大きく取り、牽制されたらヘッドスライディングで戻る。そして矢のような盗塁。スカッと爽快である。
私も来シーズンは出塁したらしっかりリードを取って、牽制されたらヘッドスライディングで戻ろう。そして果敢に次の塁を目指そう。次の春が待ち遠しいのである。
42 世界を変えた男