21日 日食。札幌は快晴。本州のように金環ではなく部分日食だったが、無事観測できた(2009年の日食のときは曇りだった)。6:30ころからうちの親子と近所の親子で集まり、手に手にグラスを持ち観測。確かに欠けているので、わかってはいるのに驚く。
それから私は犬を連れていつもの公園に。7:50ころ食が最大。快晴なのに薄暗いのが、とても不思議な気分だ。足許を見ると木漏れ日の太陽の像が全部「三日月」型に欠けていて、そうなることを知ってはいても感動。
公園から戻って家に入ると、最大食の時刻は過ぎていたが、窓のブラインドから漏れる太陽の像がやはり1つ1つ欠けていて、これまたえらく感動。
この日朝5時からの野球では4点勝っていたのをあっさりひっくり返されてコールド負けを喫したが、感動的なものを見届けることができて満足。
某日 GWで愛知の実家へ帰省中、日帰りで三重県・伊勢神宮を“見学”。昨年は奈良への日帰り旅行で法隆寺と東大寺へ行ってきたのだが、それよりずっと近く、近鉄も「伊勢市」駅まで乗り換えなしで非常に簡単。一生に一度は行っておくものだと言われ、愛知県あたりでは一生に何度も行く人も珍しくないようだが、私は実に生まれて初めてだ。神様関係は実家のそばのお宮さんで十分ありがたい感じがしていたからである。
伊勢神宮ではひとつの山体?の麓2箇所に「内宮」(ないくう)と「外宮(げくう)」があり、おもにこの2つを回るのが普通の参詣であるようだ。写真は外宮の入口。いちおう外宮も内宮も「正宮」と呼ばれるメインの建物を目指したのだが、どちらも境内がやたらと広い。そして、休日だからか物凄い人出。人混みは大の苦手なのである。それでも外宮は正宮まで楽に到達した気がするが、他の神様を拝みに行く気力はなかった。まして内宮は正宮まで延々と歩いたうえに何百人もの行列になっている。そこを拝んでこそ「参詣」なのだろうが、私としてはそこまで行っただけで上出来だという気分になり、行列に加わらずに引き返してきた。境内の写真もいくらでも撮れたのだが、ただただ「でっかいお宮さん」という印象が強く、写真を撮る必要も意欲も感じなかったのである。なんと罰当たりなことだろうか(笑)。それで最初に参詣でなく“見学”と書いたわけである。もちろん、もともと古代史に興味があるから出かけたわけであったが。
なお、内宮と外宮に祀られているのはそれぞれ天照(アマテラス)大御神と豊受(トヨウケ)大御神。外宮の創建は雄略天皇の22年というから、5世紀と6世紀のちょうど境目あたりであろうか。当時の中心地は大和地方であるが、いったいどうして山を越えた“辺境”に大事な神様を祀ることにしたのか、不思議なことである。
某日 帰省の最後の夜、名古屋市内で高校時代の友人たちと飲み会。卒業後30年目の同窓会があった2年前を挟んで、この時期に集まってもらうのも4年目となった。たまに帰省したときに遊んでくれる仲間がいるというのはありがたいものである。そして、みなそれぞれ年齢や体重を増やしてはいるものの根本的なところでは大した変化はなく(笑)、気持ちだけは高校生に戻って愚かな話に花が咲くのも楽しい。
ただし、30年の月日は人生経験とか知識とか教養の量や質を確実に変化させてはおり、二次会・三次会と人数が減るにつれ深い話題が出てくるのも感慨深い。私の高校は愛知の「田舎の進学校」であり、知多半島各所から狭い地域ではいちおう秀才と呼ばれた者が集まる。その多くは入学するとただの愚か者になってしまう(笑)のだが、中には地域の老舗と呼ばれるような会社や商店の後継ぎが珍しくない。つまり現在は経営者またはその予備軍。私はサラリーマン家庭の育ちだが今は経営者の端くれなので、彼らとの会話が非常に有意義なわけである。
たとえば4年前にも始発電車を待って徹夜でカラオケに付き合ってくれたNくんは、今回も朝4時まで一緒にカラオケボックスにいたのだが、「インターネット上でいかに自分の会社を見つけてもらうか」という件についていろいろと知見を与えてくれた(それは次の話題に続く)。思えば高校時代からよくできたやつだと思っていたのだが、30年経って相当磨きがかかっている。4年前に比べて歌が格段に上手くなっていたのにも驚いた(笑)
某日 携帯電話のワクを破損。機能に問題はないので修理するまでセロテープで応急処置しておいたら、(たまに見かけるように)車の損傷をガムテープで処置しているのに似て非常にブザマであり、人目につくところではとても恥ずかしい。修理しようとしたらメーカーに出してしばらく戻らないと言われる。それは困るので、ちょうど機種変更の案内が来ていたこともあり、スマートフォンに新調した。
さて、上の件の続き。カラオケボックスから帰る車内でNくんに「今時の若いお母さんは携帯なりスマホで検索する人がほとんどじゃないか」と言われて気になっていた私は、新しいスマホの広い画面で神谷塾のHPを見てみたわけである。すると想像していた以上によく見える。ただし携帯なりスマホなりで見やすいようにはつくっていないので、ちゃんと見たいならPCで見てね、と言ってしまっている感じ。もともと携帯で見てもらうことを想定してはいないものの、これは親切ではないなあ、と痛感した。
今のHPの作成を専門の会社に依頼したのが2004年。なんともう、8年も経っている。更新を重ねて内容は自信があるが仕様は古い。そろそろリニューアルの潮時であろうと判断した。それでその会社の、当時から面倒を見てもらっている担当のEさんに御足労願って打合せをする。デザインはお任せで6月に作業ということになった。それは外注なので待っていればいいが、Eさんはさらに「スマホに替えたならfacebookをぜひ始めよ」という。
物の本にも解説されているが、ネット上での探し物はgoogle等の検索エンジンよりも個人のネットワークが活用されるようになる見込みだという。つまり、facebook等のSNSで知人が勧めているところをまず見に行く。そのHPが綺麗で親切なら問い合わせてみる、という流れが想定されよう。ならばSNS上での人間関係のつながりも広げておくに越したことはないし、そこにも塾のページをつくっておけば本物のHPを見に来てもらえる可能性が高まるのである。
もともと私個人をネット上で晒し者にする(笑)のはこのブログで既に抵抗はない。さっそくfacebookのアカウントを作成し、とりあえず神谷塾のページもつくった。編集とか画像のアップとかで勝手が違うことが多く、戸惑ったりイライラしたりしたが、どうやら一段落してあとはネタを載せるだけになった。
14日・21日・28日 地歴講座。
第5回 【日本地理】日本の位置と領域/日本の気候 【歴史Ⅱ】市民革命 【公民】基本的人権
第6回 【世界地理】東アジア(1) 【歴史Ⅱ】産業革命と欧米の近代化 【公民】家族制度
第7回 【世界地理】東アジア(2) 【歴史Ⅱ】アジアの植民地化と抵抗 【公民】国民の政治参加
早いものでSee-beを使った地歴講座も今年で6年目になるが、これまでは教科書の配列に合わせてまっすぐやるだけであった。すなわち、地理では世界全体とか日本全体の話をしたあと、日本地理の各論→世界地理の各論という順序。歴史も古代から現代へ一本道であった。全学年を対象に毎年1年で全部やることにしている以上、他にやりようはないように思っていた。ただし、中1にとっては学校でやる地理・歴史の前半を倍の速度で終わらせて後は中2の予習になってしまっていたり、逆に中2にとっては1年の前半は完全に復習であり学校でやる地理・歴史の後半はなかなか始まらない--という不具合が気になってはいた。
その件をGWの休暇中、伊勢神宮に向かう近鉄電車の中でなんとなく考えていたら気付いた。地理は世界地理と日本地理を、歴史も前半と後半(「市民革命」から)を交互にやれば、中1も中2も学校の進度と大きく食い違わなくなるではないか。中3にとっても、受験の準備としてはこの方式のほうが優れている気がする。
これまでどうして気付かなかったのか、不思議なほどだ。まだ新年度のスタートを切ったばかりだし、ひとりでやっている気安さで、生徒に伝えさえすれば軌道修正は私の一存でできるのである。というわけで、5月から実行することにした。ただし、ある地域なり時代なりの話の連続性を大事に、基本的には2~3回ずつのまとまりで講義する。
12日・19日・26日 理科講座。
第4回 【中2】血液の循環 【中3】イオン化傾向と化学電池/電気分解のしくみ(2)
第5回 【中1】気体の性質と発生 【中3】酸とアルカリ
第6回 【中2】刺激と反応 【中3】中和とイオン
中3の化学分野はこれで終了。最後の中和のところはイオンを定量的に扱うので計算とか図解が忙しい。思えば前の職場での講師時代、中3の5月いっぱいイオンの計算を教えていたような印象がある。慣れないうちは大汗をかきながらだったが、苦労のかいあって今はむしろ得意ジャンルである。神谷塾では3割削減の間もしぶとく生徒に教えてきているので、私の授業スキルは向上はしても失われることはない。学校の理科にもイオンの話が完全に復活した今年、しばらく教えていなかった教師たちは悪戦苦闘しているであろう。初めて教える若い教師はなおさらである。
生徒が使う新しい教科書の記述は3割削減の前よりも増強されていて、その頃から教えている身であってもしっかり目を通さなくてはならない。中学生の教科書をしっかり読む気になったのは塾の教師を始めたころ以来。
5月のあれこれ