1月2日に愛知の実家から日帰りで京都に行って来ました。
【鹿苑寺】金閣
テキトーに撮った写真ですが、このきらびやかさ!私は小6のときの修学旅行で一度見ていますがその時は金箔がハゲハゲでした。1987年の補修で漆や金箔の張り替えをしたとのことです。
金閣は鹿苑寺の舎利殿(釈迦の骨を祀る所)。足利義満が造営した当時は「北山殿」という山荘。義満の死後、義満の法号(鹿苑院)にちなみ、金閣を中心とした建築・庭園が鹿苑寺と命名されました。
1階は寝殿造、2階は武家造、3階は中国風の禅宗仏殿造。なお、中は見せてもらえません。前の池は「鏡湖池」(きょうこち)といいます。
【慈照寺】銀閣
慈照寺の観音殿。応仁の乱後、足利義政が造営した当時は「東山殿」という山荘。義政の死後、義政の法号(慈照院)にちなみ、銀閣を中心とした建築・庭園が慈照寺と命名されました。
1階は書院造、2階が中国風の仏殿造。特徴のある窓は「花頭窓」(かとうまど)といいます。
【慈照寺】東求堂
もとは義政の持仏堂。1層の入母屋造で、北面東側の四畳半は「同仁斎」と呼ばれ、現存する最古の書院造。教科書などでよく見かける書院造の写真はここのもので、銀閣の1階ではありません。銀閣も東求堂も中は見せてもらえません。
【清水寺】舞台
写真などでよく見かけるアングル。
境内は「清水山」の中腹にあり、「舞台」は本堂の半分が山の斜面にせり出している部分です。
清水寺は坂上田村麻呂が自宅を本堂として提供し、僧・延鎮と協力して改築したとのことです。
【清水寺】舞台
下から見上げたところ。139本?の柱に支えられています。釘は使われていないらしい。このような構造を懸造といって、奈良の長谷寺も同じ様式だとのこと。
【清水寺】アテルイとモレの慰霊碑
1994年建立とのこと。
坂上田村麻呂が征夷大将軍として東北の平定に赴いたのち、京都へ連れてきた指導者2人。田村麻呂は2人の助命を嘆願しましたが処刑されてしまった。