近々、全国各地で首長や地方議会議員の選挙があります。マスコミでは特に東京都知事選のことが取り上げられていて、国政だとか安倍内閣のことはかすんでしまっている感じです。
東京都知事選は、現職の石原氏をふくめて候補者は4名だったでしょうか。先日その4名が「NEWS23」に総出演しているのをたまたま見て、なんとも痒いところに手が届かない不快さを覚えました。石原氏が弁舌巧みに?言いたい放題言っているのを他の候補者がビシッと抑える場面とか、石原氏がぎゃふんという場面を期待したのですが、どうにもスキッとしない発言ばかり。黒川氏は問題外としても--反石原票を吸収してしかも石原氏の得票には及ばず、結果として石原氏の援護射撃をするために出てきているのでしょうから--、浅野氏にもうちょっと迫力を出してもらいたいですね。
共産党にはもう候補者を出すなと言いたい。反保守票を吸収してしかも当選には至らないのですから、保守側を利するだけです。今のままなら候補者を出さないか、もっと望ましいと私が思うのは、社民党や民主党リベラルと一緒に新しい政党をつくること。
というわけで、話題としては古いのですが、2005年の衆院選のときに『神谷塾だより』に書いたものを載せておきます。(一部加筆)
衆議院議員総選挙がありました。参議院と異なり、衆議院は議員全員を選び直すので「総選挙」といいます。君たちはまだ選挙権がないのだし、今回はとりわけ争点が見えにくかったから、関心を持てなかったかも知れませんね。無理もないとも思います。ただし、選ばれた議員は税金から多額の給料を受け取り、国会の議決に関わり、大臣をやったりもして、政治を動かしていきます。慎重に選ばれねばなりません。
だから「この人に政治をやってもらいたい」と思う人を選ぶべきだし、そのために選挙をするわけですが、このところどの選挙でも、政治を任せたいと思わせる人物が候補者の中にめったにいません。“選べない”選挙になってきているのです。それで神谷は毎回困っています。お父さん・お母さんも困っているのではないでしょうか。
さて、そこで君たちだが、こういうときこそ「どの候補者が議員によりふさわしいか」を、新聞の情報などを頼りに判断する練習をしてほしい。有名かどうかだけで決めてはいけないし、一方、自分の考えにいちばん近い人(政党)に投票するのも場合によりけりだ。神谷はかつて青年のころによくそういう投票をしていたが、中年になってそれではダメだとわかってきた。当選の見込みが全くない人に入れても、その一票は「死票」となってしまう。当選させたくない人物=敵を利するだけなのだ。投票に行かないのも、白票を出すのも同じ結果を招くことになるだろう。それならば、当選しそうで、かつ比較的まともな候補者に入れたほうが、より望ましい政治が行われる可能性が大きい。投票というのは難しい、君たちの言葉で言えば「ビミョー」な行為なのである。
君たちがやがて社会の一員となるときまで、ぜひ憶えておいてほしいことがある。社会を誤った方向へ進ませないための基本中の基本は、ひとりでも多くまともな人物を議会(国会・道議会・市議会)へ送り込むことなのだ。首長を選ぶときも同じ。この60年というもの、選挙権を持つ一人ひとりがずっとそれを心掛けてきていたら、日本は今ほどひどいことにはなっていなかったはずなのだが。
候補者のうち、どの人物がよりまともか。これを判断するには、広い意味での<学力>が必要だ。政治や経済、社会の現状と未来のことを広く深く考える努力をしなくては、誰に投票すべきかわからない。自分のためにも、子孫の幸福のためにも、勉強しなくてはならないのである。
(話は急におおげさになるけれど)君たちは、もしかしたらイラクとかアフガニスタンとか、生命の危機にさらされる地域に生まれていたかも知れないのに、たまたま日本に生まれた。爆撃や地雷や飢餓や凍死の心配をすることなく学業に専念できている、この幸運を生かそう。今のうちにできるだけ力をつけて、青年と呼ばれる年齢になったときには世界中の仲間の役に立つ方向を向いて行動してほしい、と強く願う。選挙権を得たら投票に必ず行くのはもちろん、よく考えた投票をするのもそのひとつである。